philosophy

「いじめ」とは何かを松永氏にからめて考えてみる

「いじめ」の定義は難しい。ちょっと考えてみると、 正当な理由なく、自分より弱い者に脅迫・強要したり、肉体的・精神的な苦痛を与えたりすること くらいかなあ。もしこの定義を受け入れた上で、「ことのは」の松永さんに対して「氏ね」とかメールする人が…

なぜ私は「いかに生きるべきか」を考えるのか

どこかに書いてあったが、子どもの哲学は「これはなぜ?」「これは何?」という形を取る。青年期の哲学は「いかに生きるべきか」、壮年期の哲学は「社会とは何か」、老年期の哲学は「いかに死ぬべきか」「生きるとは何か」という形を取る。永井均だったかな…

「なぜ人は人を殺してはならないのか」を考える準備(2)

前回のエントリーで、この問題は以下のように問われるべきであると述べた。 http://d.hatena.ne.jp/bolzano/20060320/p1 「多くの社会では、人は人を殺してはならないことになっているが、なぜそのような禁止が生じたのか」 まずは、社会の在り方から説明を…

言葉は思考の入れ物ではない

言葉は思考の入れ物ではない。精確に言うと、言葉は思考の入れ物であるだけではなく、思考を規定するものでもある。言語学を少しでも学んだ人なら、周知の事実だが、そうでない人には難しいことなのかもしれない。 「きっこの日記」より http://www3.diary.n…

「なぜ人は人を殺してはならないのか」を考える準備(1)

「なぜ人は人を殺してはならないのか」という問題は、ネットのごく一部でひっそりと議論され続けている問題である。これを哲学的に少し考えていきたい。と言っても、哲学は素人の範疇を出ないので、間違っているかもしれない。間違っていたら、随時修正する。…

「正しいとは何か」を考える前に

id:jkondoの日記から。 http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20060312/1142098012 基本的に僕は、「正しさ」には個人的なレベルと全体的なレベルの2種類があって、個人レベルでは「人々の意見は全て正しい」のだと思っています。例えば僕が「この部屋が暑い」と言…