文系大学院生の悲しみに一言

id:merubookの日記から。
http://d.hatena.ne.jp/merubook/20060312/p1

大学院に入った頃は、数年後に自分がこんなに苦しむとは予想していなかった。博士論文を書けば、なんとかなるだろうと思い、それなりに努力して書いた。だが、博論を仕上げ、大学院を修了した自分に待っていたのは「無職」という現実だけだった。正直考えが甘かった。もちろん、自分のこれまでの研究生活のすべてを否定はしたくない。内容はともあれ、博士論文を書き上げたという誇りも持っている。とはいえ、現実はそれだけでは生きていけないのだ。

文学研究科の後期博士課程中退だから、その気持ちはわかる。はてブで「外国に旅立て」とか「博士だからできることがあるはず」なんてコメントを読むと、「悪口を言うな」という禁忌を自分で破ってしまいそうになる。
マジレスすると、よしんば外国と関係のある専攻だったとしても、外国に留学している間に年を食ってしまい、どこの募集に応募しても「年齢がね…」と言われるようになる危険性があるのだ。それに、大学人が留学経験をプラスに評価する人たちばかりで構成されているわけではない。もちろん、大学に就職しないのであれば、留学すればいい。外国に行けばいい。
また、「(文系の)博士だからできる」ことなんて、この日本にはほとんどない。博士論文を書いたばかりの人で、社会から専門領域のことで注目される仕事ができるなんて、よほど運がいいか、実力があるか、その両方かだ。多くの人は、研究意欲を失い、生活にすり減って、幸運が訪れるのをただ待つだけになっていく。


何かアドバイスできるとしたら、「とにかくどこかに飛び込んで、自分で生活費を稼いでみること」を勧めたい。専門にこだわっては絶対にダメだと思う。博士論文を仕上げたのだから、それがいつか生きてくるときが来る。しかし、それは「専門領域で仕事ができる」という形で現れるのではなく、「情報の整理がうまい」とか「書籍の内容を要約できる」とか「議論の整理が上手だ」とか、今まで研究しているときに身につけたスキルが、自然と仕事の中で活かされる、という形で現れるのだ。