侮蔑の言葉は余計な情報

議論とは、複数の人間が協力しながら、より良い選択肢を見つけていく作業だとする。このとき、議論を進める上で、いかに相手がとんちんかんなことを言っていても、侮蔑の言葉は余計だろう。「なぜこれをああしたんだ!そうするべきだ」という言い方と、「なぜこれをああしたんだ!アホ!そうするべきだ。バカ野郎!」という言い方では、前者の方がよい。前者の方が感情的に受け入れやすいからではなく、後者の方に余計な情報が入っているからである。もちろん「アホ!」とか「バカ野郎!」という侮蔑の言葉が有効な情報を持っていればいいし、侮蔑の言葉を取り混ぜることによって、議論が進めやすくなるのであればそれでもいいが、だいたいの場合は、議論は進みづらくなってしまう。

もし侮蔑の言葉を議論に織り交ぜることによって、得たい結論に近づくのであれば、それはそれでいい。ただし、侮蔑の言葉に対する人の反応はそれぞれであるため、侮蔑の言葉を交ぜない方が予測がしやすい。外交みたいに、事前に取り得る選択肢をきっちり検証した上で、戦略的に侮蔑の言葉を投げかけるのであれば、それはそれでいいのだろうが、一般の人間がそこまでやるのは難しいだろう。