作品への批判をどう受け取るべきか

「naoyaの日記」から。
http://naoya.g.hatena.ne.jp/naoya/20060323/1143099465

 よく、何か人が作ったものを批判すると、その批判された人はまるで人格攻撃されてるような気分になるといいます。それに対する反論として、それは作品に対する批判であって、その人に対する批判ではないからそうやってダメージを受けるのは被害妄想だ的なロジックが持ち出されることが多い。

 しかし僕はその反論こそが間違いだと思う。一つは、実際に人格攻撃されているように感じてる人がいるという事実があること、もう一つは、人が作った作品というのは、その作り手が「良い」と思ったことを精一杯に表現したものであり、それはその人の価値観そのものだから。だから、作者が批判されると、自分の価値観が批判され、人格を攻撃されたように感じるのです。

 ここの「人が作ったもの」を「人の意見」に置き換えてみる。議論において、時折「そんな言葉遣いでの反論は、私の人格を攻撃されたような気がして不愉快だ」「いや、私の反論は、キミの意見に対する批判であって、キミの人格を批判しているのではない」というやりとりが見られるが、それと非常に似通っていることに気付く。
 ただ、議論の場合は、本来、意見を言い合うことによって、より正しい意見を求める行為である。自分の正しさを相手に押しつける目的で行われる議論を、私は「議論」とは呼ばない(他の人たちは「議論」と呼んでもいいが、私の言う意味での「議論」と違う言葉を使わないと、ごっちゃになって“議論”が空転する)。
 一方、作品はそうではない。作品への論評は、すでにできあがった何かに対するものである。より正しい作品とか、より良い作品を求めることは、作品ができあがった後では不可能である。

この間ある漫画雑誌の編集の人に聞いた話。2ちゃんねるで自分の作品をボロクソに叩かれて、それから二度と漫画を書けなくなった、そういう人が結構いるそうだ。批判されるのが嫌なら見るな、確かにそう。でも、批判してる側は、その作者が作品を生み出せなくなるほどダメージを受けているということを考えたことがあるのだろうか。そしてその作者が二度と作品を生み出せなくなって、誰が嬉しいのだろう。

 2ちゃんねるに書かれている批判(というか、単なる悪口?)を真に受けて、二度と書けなくなる漫画家も漫画家だ、とは言える。クリエイターなら、少しくらいの批判に負けずに、自分の作りたいものを作ればいいのではないか。そういう意見が出てくる余地はある。ただ、自分の作品に対して罵詈雑言を浴びせられて、平然としていられるクリエイターばかりではない。
 そこで重要なのが、クリエイターを育てる役を担っている編集者である。漫画家の描いた作品が本当におもしろいのかどうかは、2ちゃんねるだけを見ていたのでは絶対にわからない。特に悪口が多い場合は、注意すべきだろう。きちんとした市場調査をやらないと、非常に偏った意見から結論を導き出してしまう恐れがある。クリエイターは、自分の作品が批判されれば、頭に血が上ってしまうこともあるだろうから、そこを編集者が第三者の目で見て、できるだけ客観的な判断をする必要がある。時には、2ちゃんねるより厳しく、クリエイターの作品を評価する必要があるだろう。
 ただ、最近、大手であっても出版社の事情はいろいろな意味で厳しいため、クリエイターをプロの目でちゃんと評価することが難しくなっていることは認めざるを得ない。


 なお、naoyaさんが触れているAmazon.co.jpの批評の件は、批判する人にも問題があるだろうが、むしろそういう評価を見せてしまうAmazon.co.jp側の問題ではないかという気もする。