意見には説得力が必要

言うまでもないことだけど、メモ。


意見を認めてもらうには、説得力がなければならない。
2ちゃんねるで「こんなことも知らないのか、アフォ」とか書けば、書いてあることをそのまま信じてしまうネットリテラシーの低い人たちには、その意見が広まるかもしれない。もしその意見が妥当であり、注目に値する内容であれば、無駄な情報と本質的な情報を鋭く峻別できる人たちも、それに同意するかもしれない。
ただ、それが世の中に広まっていくには、意見の内容だけでなく、それを補完するものがいくつも必要になってくる。それは、意見を構成する論理の流れであり、時宜を得たものかどうか、頑丈な論拠や信頼できるデータに因ったものか、などなど。わかりやすい例で言えば、単に「小泉はアホだ」と言ったところで、誰も耳を傾ける人はいないだろう。しかし、単行本を一冊書いて、最後に「小泉はアホだ」とやれば、「そうか」と納得する人も出てくるに違いない。
それゆえ、説得力のない意見は、単に消費される対象にとどまる。その意見に説得力を追加した人の名前が記憶され、その意見を最初に言った人の名前は忘れ去られる。…ほら、私のように。(笑)