パソコン通信のさよならオフに行かなかった

ウジェーヌ・カリエール《母性》

 複数の知人から、「さよならオフ、来ませんか」と誘われていたが、返信もしなかった。誘ってくれた知人には感謝したいが、パソコン通信自体にはもう未練はない。
 精確に言うと、パソコン通信という場には未練がある。あんな場は、もう二度と日本には現れないのではないかと思う。みんなコテハンを使い、中には本名を明かしている人もいて、しかも中にはその分野ではかなり有名な人も含まれていて、議論したり、なれ合ったり。mixiがそれに近かったが、あっという間にマトモな人はコミュからいなくなった(ように感じている)。もはや、危なくて本名をさらすなんてできない。パソコン通信は、最後まで本名をさらすことのできる場だった。
 しかし、パソコン通信に集っていた人たちが顔をつきあわせると何を言うか。「あのときはよかった」とか、もっとマシなことで「われわれで同じような何かができないか」とか。新しい「何か」を求める人は、ずいぶん前にパソコン通信から去っていった。パソコン通信という場に愛着を持ちながらも、新しい「何か」に惹かれる私のような人間にとっては、パソコン通信のさよならオフというのは、コーヒーの出がらしのようなもので、以前はよかったが、今はもう捨てるしかないものを見に行くような気がした。