文系大学院生の悲しみにもう一言

はてブに気になるコメントがあったので、もう一言。

恩師の一人の言「博士課程とは自分の賞金首の値を上げる期間である」ただ研究すりゃいいってもんじゃない。学会に出て議論をふっかけて他の先生方に覚えて貰うことで助手などの声が掛かる。自由公募などありえない(id:tessy)

正論。ただし、やり過ぎは禁物。鼻つまみ者になってしまっては、逆効果。大学の教員の中には幼児性格の持ち主が多いため、学会で下手に年上の先生をやりこめたら、それ以降、まったく相手にされなくなることもある。また、多少、自分がキレ者であることを周囲にアピールできたとしても、専門領域や年齢といったどうしようもないこと(専門領域は、大学院に進学するときに注意しないといけないし、年齢はそもそも進学する前に考えておくべき)が理由で、大学への門戸が閉ざされることもある。

頭さえよければいろんな世界でいろんな創造をして自分もすごく楽しくなれるし周囲もハッピーにできる。それができないのはのは、単にその人の頭が悪いだけ。博士だから頭がいいというのは幻想。(id:fromdusktildawn)

こちらも正論。博士課程に進学したから頭がいい、なんて言えない。ただし、学部→修士→博士と10年近くにわたって、一つのことに対して研鑽を積めば、おおかたの職業では生活できる程度のカネを稼げるポジションにいるはず。特に頭がよくなくても、特別な才能がなくても、粘り強くやれば、リターンもある程度期待できる仕事は少なくない。しかし、大学院生(および、その後、大学の研究職を目指す人たち)には、払った努力に対する報いを受ける機会がなかなか与えられない。変な形で大学を離れてしまうと、努力の成果を発表する機会さえ与えられない。
また、頭が悪くても、専門領域がうまく時流に乗ったものだったり、指導教員にたまたま力のある人がいたりすれば、その後の人生はバラ色に変わる。いくら影で「あいつは、大学の名前で就職した」「○○先生におべっかを使うのがうまかったら、就職できたのだ」などと言われようとも、専任教員として大学に勤めるのと、無職のまま、塾や予備校でアルバイトしなければならないのとでは、人生はまったく違うものになる。
どれも、知っている人には、言うまでもないことだけど。