「いじめ」とは何かを松永氏にからめて考えてみる

ロダン 永遠なる休息の精

「いじめ」の定義は難しい。ちょっと考えてみると、

  • 正当な理由なく、自分より弱い者に脅迫・強要したり、肉体的・精神的な苦痛を与えたりすること

くらいかなあ。もしこの定義を受け入れた上で、「ことのは」の松永さんに対して「氏ね」とかメールする人がいたら、それは「いじめ」を行っていることになると思う。実際には、そんなに低レベルなメッセージは、それほど届いていないんだろうけど。


…というと引っかかる人が出てくるのは、「正当な理由がない」と「自分より弱い」の2個所だな。ここで言う「正当な理由」というのは、動機と行為、あるいは前提と結論が正しく結びつけられているときの「動機」または「前提」のことを指す。たとえば、「今日は曇りだから、友人を殴る」というのは、動機と行為、または前提と結論が正しく結びつけられていない。精確に言うと、正しく結びついているかどうかをこの文の情報だけでは判断することができない。「松永は元オウム真理教信者だから、氏ねと書いたメールを送る」というのもまた、動機と行為、または前提と結論が正しく結びついていない。精確に言うと、正しく結びついているかどうかを判断できない。
次に「自分より弱い」だが、何を持って「自分より弱い」とするかが問題になる。このとき、実際に判断基準となるのは、対象となる人の財力や政治力、社会的名声ではなく、自分以外の大衆からの支持を得られるかどうかだろう。たとえば、ホリエモンのやり方を非難する人は、ホリエモンの逮捕前と逮捕後では、明らかに後者の方が多い。これにはいろんな理由があるだろうが、逮捕後であれば、大衆の意見は「ホリエモンは非難に値する」だから、非難してもよいというのが、一つの理由だろう。
また、注意しておかねばならないのは、権力を持っていた人間がその権力を失うと、いろいろな理由から迫害を受けやすくなる、つまり「いじめ」を受けやすくなるという性格がある。たとえば、ホリエモン事件のように、企業のトップが犯罪を犯して逮捕されると、それまでの賛同者の多くが手のひらを返したように非難し始める事例は枚挙にいとまがない。


「いじめ」をするかどうかは、その人の在り方に関わる。私はしたくないし、子どもがいれば、子どもにもさせたくない。
なお、ここでの「いじめ」は、学校や会社で問題になるいじめと同じものかどうかの判断を保留したいので、「」付きで書いておいた。